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 おれが映画の仕事をやっていたときのことだ。偽装問題というのが、世の中では取り出されていた。ほら、本当は別の人が作った曲を、偽って自分が作って売ったりするやつ。アーティストとしては風上にも置けないが、ビジネスとしては分からないでもない。なぜなら、名前(ラベル、ブランド)を変えるだけで、同じ商品でも売れたり売れなかったりするのが世の常だからだ。ただ偽装がよくないのは、ひとつには消費者を騙しているという点。たとえ相手が偽装を見抜けなかったとしても、信用を落とすのは仕方ない。そしてもうひとつは、偽装してもらってるパートナー(?)との間で亀裂が入ってしまう。ブランドを貸す側、借りる側で、お互いが疑心暗鬼になっていては商売として成り立たない。

 例えば俳優という職業は、名前と顔が売りなのだから偽装なんてなさそうだ。それなのに、そういうことがまかり通ることがある。おれもそれまで音楽をやったりしてて、そういう世界には疎かった。でも映画の現場に入ると、俳優でさえ商品として扱われることを知った。アーティストというクリエイティブな職業でさえ、ひとつの商売であり商品であることには変わりない。もしここが社会主義国で、国の支援を全面的に受けていたりしない限り。または今が中世で、貴族や王様のようなパトロンがついていない限り。もちろん大企業のバックアップということもなきにしもあらずだろうが、俳優という一個人にそれがつくことは、資本主義社会の中で到底ないだろう。

 現場では、あまりに人数(俳優だけでなくエキストラ、スタッフ)が多いので、名前を覚えるだけでも大変だった。おれは物覚えがいいほうじゃないし。何しろそれまでバンドをやったり小さな世界で生きてきた。むしろアーティスト側として気楽に生きてきた。ある意味で自分のことだけ考えて、自分の興味と感性に従っていればよかった。いや、それが正解かどうかは分からない。もしかしたらそういう自分勝手な態度だったから、音楽方面の仕事も芳しくなかったのかもしれない。または逆に、もっと突っ切ってアーティスト然とした切り口を持ち続けていたらよかったのか。