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 阿佐ヶ谷にあるバーに、仕事帰りの私はよく行っていた。そこの常連には義手の男がいた。義手といっても、今は技術も発達しているので見ただけでは分からない。普通に飲んで喋って、そして気づくのだ。

「ん?」私が声をあげると、彼は首を振った。

「これね。」義手なんだ、と彼は腕を見せてくれる。

「そっか。」私は思わず、その作りものの腕に見とれてしまう。

「まぁ。」彼はその手でグラスをつかむ。それほど不自由でもなさそうだ。というか、その義手は本物の手と変わらないくらい。

「不自由とかないの?」私は失礼を承知で聞く。お酒も入っていることだし。

「まー女とやるとき?」そう言って彼は笑う。

「ふーん。」私にはそれが冗談なのかどうかも分からない。

「ウソだから。逆に便利なくらいさ。女をイカすには。」彼はそう言ってニヤっ笑う。

「え、そう?」私はグラスを傾ける。

「本物の腕でも、うまく使えない奴はいる。」真剣な顔になって、彼は言った。

「うん。」私は自分のことを言われているような気もした。

「ようは訓練次第さ。」彼は腕を上げたり下ろしたりする。

 それはまるで本物の腕のようだ。もし、それが腕の形をしておらず、プラスチックやむき出しの金属ならどうなんだろう。これくらい腕に見えるのだろうか。それともやはり私たちの情報の大半は、視覚によってだまされているのか。

「速く走るとか、歌がうまいとか。そういうのも、大半は訓練によって変わる。」私はどこかで得た事柄をつぶやく。

「ああ、フォームだとか、歌い方の発声とかね。みんな使い方が分かってないだけ。」彼はそう言って肩をすくめる。

「いつから?」私はさらに突っ込んだ質問をした。

「そう、十代のときに事故でね。」彼の表情は少し暗くなる。

「うん。」私にはそれ以上を話すことができない。彼がどんな少年時代を送ってきたとか、事故で腕を失ったときの悲しみだとか。そういうことに関して語ることは憚られる。私にできることと言ったら、安易な同情を示さないことくらいだ。

「でもね、意外と発見も多いんだぜ。」彼はそう言った。

「どういう意味?」私は再び彼を見る。

「ほら、左利きのやつが言うじゃないか。世の中は右利きのためにできてるって。それと同じようなこと。」彼はグラスを傾ける。

「障害者に気づく世の中になってきたとはいえ。」私は思わず障害者という言葉を使ってしまい、自分でもギクリとした。

「その通り。」彼はそれを気にするそぶりも見せない。

「結局人は死ぬわけだ。」私は自分の発言を隠すように、極端なことを言った。

「なにそれ。」さすがに彼も私を見た。

「年をとったら、誰でもあちこちガタがくる。」私は肩をすくめる。

「五体満足なやつなんて、そうそういないか。」彼もまっすぐに前を見た。

「自分だけは大丈夫って、みんな思ってるんだ。」私は皮肉を言う。

「あんたはどうなの?」彼はもう一度私を見る。私は、どうだろう。自分のことを振り返ると、とても健康体とは思えない。膝も腰も痛いし、頭痛もちだし手にはあかぎれだってできているし、健康な歯もない。私がそう答えると、彼はハハハと笑った。