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第十六日 不義

 

 そもそも中野進が東京に来たのは、音楽をするためだった。それがいつからかうまくいかなくなって、映画の現場に出入りするようになった。たしかあれは、映画のための音楽づくりを頼まれてからだ。それで現場にも出入りしているうちに「うちに来ないか。」という話になった。彼は元々ハキハキした性格だったし、関西時代から現場仕事にも慣れていた。

「映画なんてやったことないけど。」彼は頭をかきながらつぶやいた。ただすぐに現金をもらえる。彼はコンビニのバイトをするよりは「おもろい。」と考えた。彼の基準のひとつが「おもろいかどうか。」であり、それは関西的な風土から生まれたものであった。

「やっぱ、おもろないことやっても意味ないやろ。」彼はそう言いながら、渋谷や新宿を走り回った。電車やバスを乗り継いで、届け物をしたり調べ物をしたり。映画作りはすることが多かった。それでも彼は東京の町を動き回るのが好きだった。まだ上京してから間もないので、地図を調べながら探索していた。

「なるほど、これが山手通りで、あっちが明治通りか。乗り換えは丸の内線でえーんかな。」彼はキョロキョロしながら歩いていく。都会のビルの間には、アリンコのような人々の群れが密集している。ぶつかりそうになると、彼は器用によけた。

「ったく。東京人は挨拶もせーへんのか。」文句を言いながら、彼は早足で歩く。歩くスピードだけは誰にも負けないと自負していた。なんといっても大阪の梅田は、日本でも有数の早足の街だ。

 映画の仕事に慣れてくると、いくつか現場を掛け持ちするようになった。

「やったらやるだけ声かかるな。」どんどん広がっていく仕事の輪に対しても、彼はおもろく感じていた。何より人脈ができるのは、音楽をやるにしても財産になるはずだ。彼は再びしっかりと映画音楽をやるつもりでいた。それまで、下積みのようなことをやるのも仕方ないと割り切って。