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 そういう関係がいつまでも続かないことくらい明白である。そしてそのことを知らぬ者は、誰一人いなかった。監督本人だって、自分の精力や財政がいつまでも豊かであり続けるわけはないと知っていた。愛人は愛人で、ロマンチックに「正妻」の地位を狙い続けるようなヤボでもない。いくつかは計略やささやき作戦を使ったこともあるが、そこに力を注ぐことが愚かであることも知っていた。嫉妬や羨望はなきにしもあらずだが、「愛人」としての優越感だってある。

 妻は妻で、夫の不倫がいつかは終わることを信じていた。いつかは雨がやみ、日が暮れるように。その日は刻一刻と近づいているはずである。自分は自分で忙しいわけだし、それが都会に暮らす人々の基本的な態度だった。彼女が夢見ていたことがあるとすれば、老後のいつか夫と手をつないで散歩する程度のささやかなものである。逆に避けたいことがあるとすれば、浮気や不倫を繰り返して不能になった老人の介護に追われるような日々。

 だが、実際のところそのような老後が訪れることはなかった。そう、その監督は六十になる前に急逝してしまったからだ。原因は脳卒中だった。しかも愛人と一緒にいたときに。彼女がラブホテルから救急車を呼ぶのをためらった。その少しのためらいがなければ、もしかしたら彼も一命を取り止めていたかもしれない。かといって、障害が残った夫を世話をするのは妻になるわけだ。その心配は不要になった。ホテルから病院に運ばれた彼は、助からなかったわけである。それを天罰というには、あまりに酷なのか。それとも身分相応なのか。まさに神のみが知る。少なくとも、妻は財産を相続し、愛人には思い出以外は何も残らなかった。そして監督の映画は、人々に観賞され続ける。それがこの不倫の結末である。