
もちろんそれは監督が感じたことでしかない。女性の側からしたら、不倫相手として愛人としてお金を支援されるのは「屈辱」なのかもしれない。そしてできるなら「正妻」のポジションを、とひそかに望んでいたのである。これこそ世の中の妻や母親がもっとも恐れることだ。今の社会においては、女性も働くようになったとはいえ、やはり大黒柱があるとないとでは違う。保守的な考えかもしれないが、ひとつの現実的なあり方である。
監督と愛人の関係はしばらく続いた。彼女の方だって、離婚している身である。だから結婚がいつなんどきもよきものだけであるとは思っていない。それに性的な意味でいっても、パートナーがいるというのは不可欠なことだ。それは双方にいえるわけで、結局のところ相互扶助のようなものだ。当然のことと言うと変かも分からないが、その監督は妻ともう何年も寝ていなかった。「奥さん、大丈夫?」とたまに愛人が聞いても、監督は頭を振るだけだった。
当然、監督も妻には悟られないように、細心の注意を払っていた。匂いや髪の毛、服装や持ち物など劇的な変化がないようにしていた。帰る時間自体は、監督業ということもあり元々不定期である。不倫が悟られるような心配は、あまりなかった。だからといって、妻が本当に気づいていないかといえば定かではない。いや妻には妻の生活が今はあって、それは外でお酒を飲んだりするような社交的な生活だ。社交界の貴婦人とまではいかないが、本人は少なからずそう思っていた。
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