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 ここで一人の映画監督の話しをしよう。彼は社会的にはある程度成功を収めている。遅い結婚だったにしても、妻も子どももいる。映画監督になれる人など、数多いわけでないのだから彼は勝者であるかもしれない。そして勝者は報酬が得られるのであり、それが愛人だったとしても誰が咎めよう。少なくとも妻以外の人物(子どもをのぞき)が、彼を咎めることはできない。なぜなら不倫は犯罪ではないからだ。そして日本という社会は、ある一面で性的にもわりとおおらかな面がある。

 ある宗教的な国においては不倫も立派な犯罪である。そのせいで命を落とすということもありえる。何もそれは嫉妬による銃殺というわけでなく、国として処刑が下されるというわけだ。日本はそういう国では今のところはない。時代によって変遷があるにしても、わりと大らかな文化を持っていて、それでも成り立つのは島国であるからかもしれない。

 とにかくその監督は五十代で、四十代の妻と二十代の子どもを養っていた。そして三十代の愛人を持っていた。その愛人には十代の子どもがいる。つまりシングルマザーだったわけで、その監督も「いくらか出してやろう。」と愛人に言う。だがその女性は立派に東京で働いていて、その助成を断った。「あたし一人でも、何とかやっていける。」と言うのである。監督もその言葉には、思わず感心してしまう。一人の女性として、どこか自負というものが感じられる。