
そして、ある日その組の長である監督が死んだ。目標に向かって進んでいたはずの俺たち車輪は、操縦士を失った。そしてガタンガタンと壊れていく。分解していく。結果的にはよかったのかもしれないと、あとになって俺は思う。もしそのまま監督が生きていたら、その戦車は永久に走り続けたことだろう。人を殺し続けながら。目的地に着くまで。
俺は組を辞めた。他の組に移るという話しもあったにはあった。だけど、どうせまた歯車として生きていかなければならないし、車輪から操縦士になるのは相当のステップが必要だ。もちろん俺は不利を承知で東京に来ているのだが。人を殺すのは嫌だし、殺されるのも嫌だ。「殺すくらいの覚悟」とか言っているやつがいると、ぶっ飛ばしたくなる。本当に人を殺すとはどういうことか、彼らは知っているのだろうか。
そして「殺す」つもりの場所で、「いい物」が作れるのか。それも疑問である。必死さとは甘さの裏腹ではないだろうか。本当に余裕があればその場しのぎの必死さなど必要ない。戦争する前に解決できることもいっぱいある。資源はみんなで分かちあえば、より多くの人が幸せになるはずである。今、俺はそのために音楽を作っている。身を粉にして、「マザーファッカー」と叫ばず「ラブ&ピース」とつぶやきながら。
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