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 とにかく俺は東京にやってきて、不利を承知の勝負をしている。映画の撮影現場に入り込んだ。音楽をやめ、道を踏み外そうとしていた。なぜなら音楽は斜陽産業で、CDはほとんど売れなくなっている。それに比べると映画産業は、まだ強い。みんなテレビは見なくなってきているが、コンテンツが豊富な映画は見るというわけだ。やはり最後は内容がものをいう。レストランでもやはり最後の決め手は「味」なのだろう。

 たしかに雰囲気やロケーションも大事だし、合理的な戦略があったにこしたことはないが、決め手は「味」である。これは戦争も同じで、なんだかんだ理由をつけて戦争をする。だが結局ほしいのは「味」である。ここでいう「味」は、石油や資源という素材のことである。いい映画を作るためには、いい素材が必要だ。いい素材とは「いい女」「いい男」「いい物語」のことである。「いい物語」を書くには「いい脚本家」が必要である。そして「いい映画」を撮るのは、結局は「いい監督」がいり、彼を中心としたチーム。そのチームのことを映画では「組」という。「いい組」の元にはいい素材が集まる。

 だが俺はまだ映画の「組」に慣れてなかったし、自分自身が素材として扱われるのも慣れてなかった。「俺は素材ではなくて、人間です。」などと映画の現場で言っても始まらない。なぜならそこではいい映画を作るためだけに、人が集まっているからだ。俺はそんなこんなを知らずに、映画の現場にやってきた。