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「まるで神様に試されてるようだな。」彼は歩いているうちに、自分の気持ちがおさまっていくのを感じた。そして部屋に戻ってパスポートを探す。すると出てきたのは期限切れのパスポートだけだった。彼は頭を手でおおった。

「期限切れ。」彼はどうしたらいいのか分からない。住民票を手に入れるには、身分証明証が必要なはずだ。

「いや、待てよ。」彼はマイナンバーがあることを思い出した。それを使えば住民票も発行できるはずである。

「とにかく今日は無理だな。」彼は再びため息をつく。持ち金は数百円しかなかった。誰かに借りるしかない。だが携帯電話とパソコンが雨でつぶれている。どこかに電車で行くにもICカードも壊れている。彼は頭を抱えた。そして一杯水を飲んだ。そうだ、少なくともまだおれは生きている。水もあるし、空気もうまい。彼は自己肯定を始めた。それくらい追い込まれていたのだ。

「両親も健在だし、住む場所もあるし、日本は今のところまだ平和だ。」彼は前向きな言葉をつむいだ。

「まずは公衆電話を探して、会社に電話する。そして明日の午前中のうちに。いや明日は日曜か、じゃあ役所が開くのは明後日。」彼は家の中で食料を探した。冷蔵庫にはほとんど何も入っていない。何ヶ月も前からの梅干と、醤油があるだけである。棚を探すと缶詰があった。そしてスーツのポケットを探ると、数百円か出てくる。

「これで明後日まで、しのぐしかない。それか最悪、誰かに公衆電話から電話してお金を貸してもらおうか。」そこで彼は誰の電話番号も覚えていないことに気がついた。

「実家。」実家の電話番号しか分からない。だが田舎の実家に電話したところで、どうにもならないだろう。食料を送ってもらったとしても、それが着くのに二、三日はかかる。

「ついてない。」彼は座り込んだ。すべては湿気のせいのような気がする。冷蔵庫から取り出した梅干を食べようとすると、それにカビが生えていた。

「梅干にカビ?」彼は愕然とした。そしてそのままその梅干を食べた。気の迷いといってもいい。それから一日もたたないうちに彼はお腹を壊してしまう。そして住民票どころか入院しなくてはならなくなる。にもかかわらず、日曜日で病院は休みだ。救急車を呼ぶにも電話もない。

「死ぬ。」彼はそう思って、ただただ腹痛を我慢して眠った。すべての痛みや世の中の喧騒から逃げたかった。最初は眠れなかった彼だが、やがて永遠の眠りが彼を包み込む。彼の体は湿気に覆われ、腐るまで発見されなかった。大家が彼を見つけたのはそれから一ヶ月も過ぎた真夏である。腐乱死体からはすさまじい臭気がした。すべては湿気のせいである。