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  都会の厳しさを、東京の仕事人間たちとのやり取り、つまり度重なる失敗の中で学んできた。成功?それは閃光みたいに一瞬、ほとんど忘れてしまった。だからぼくにとって東京は、むやみに飛び込むことができない闇。一回ハマったら、抜け出すことが難しい沼みたいな所。それでいて温かみも少しは残っている村社会。欧米のような完全な個人主義が根づいていない。みんな、鉄壁の防御で一人一人の間に壁を作りながらも、実はその隙間から他人を観察している。無言の圧力。


 最初、その無言の雰囲気のことをぼくはあまり知らなかった。いや、主張することが大事とかいうんじゃないよ。そりゃぼくもボストンで大学生活を送った身だから、アメリカの自由な風土がとても好きだ。そこは一見フレンドリーだけど、根本はあまりにも乾燥していてドライな関係。アメリカではそういうのもわるくないって思った。時々ショックも受けるけど、それぞれが独立してて個人を尊重していく。そこには各人の責任=
Responsibirilyがある。だからこそ「おまえの意見はなんだよ?」ってことになって、意見交換もできる。


 だけど日本は、東京はそこまで徹底されてはいない。それがややこしい。仕事重視なのは確かだけど、それを「意識が高い」と呼んでいいのかどうかぼくには分からない。沈黙のルール、雰囲気を大切にすること、上下関係などといったことはとてもアジア的だ。そこには確かに柔軟な包容力もあるし、仏教的そして儒教的なものもある。でも、流れというものに飲み込まれてしまう危うさもある。そしてぼくはその流れに巻き込まれ、人間関係の渦の中でずぶずぶになって溺れかかった。