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「大丈夫なのか。」男は女の顔を見た。そして少し気持ちが萎えかける。それで「今日はやめとこう。」とでも言えば、若者のようにそれでおさらばというところだった。しかし男は、それなりの歴戦の強者でもある。女が何を考え、何を求めているのかを感じとる。それでいつもよりも激しく、女を抱いた。男気というやつだが、それで女は男を愛するようになった。火傷はしばらく治らず、顔には傷が残った。それでも男と女は密会を続け、危険な時間を共有した。

「よく引かなかったね。」と女は言った。

「少しは引いたけどな。」と男が笑う。

「でも嬉しかった。」女が言う。

「そういえば、言っておくことがある。」ベッドの上で男は言った。

「なに?」女は下着をつけなおしている。

「会社で、リストラがあってな。」彼はそのリストラの対象でなかった。しかし自分から希望退職を出したという。そして子会社で働くというのだ。

「なんで?」女は眉間にしわをよせる。

「小さいけど、やりがいがある。」そこの社長に頼まれたという。彼も第二の人生を考える時ということだ。家のローンは残っていたが、退職金を含めて何とかなりそうな目途がついた。

「収入は減る。」男は言った。
「そう。」女は小さい声で答える。

 それが男と女が交わした最後の言葉だった。女は男から去っていった。一時的な愛は金の前に消え去った。彼女はいつまでも相手の離婚を待ち続けられるわけではない。このような時が来ることも知っていた。男は最後には家庭を取るものだ。そこには愛がある。いつまでもこのままじゃいけない、そう女は思った。一方、男は自分の力が落ちるのを感じている。それは肉体的にも社会的にも。いつまでも一流でいられるわけじゃない。どこかで目途をつけなければならない。女が離れていくのは仕方がない。いつまでもこのような密会が続くわけではない。大やけどを負う前に、先手を打っておくのだ。少しのお金を彼女には振り込んでやった。しかし、返事は何一つない。男は自己憐憫に暮れるでもなく「それでいいと。」と小さくうなずいた。そして取り壊しが決まったあのホテルのカフェで、一人コーヒーを飲んだ。