
彼は五十を越える男で、それなりの社会的な地位にある。女は雑誌記者で、三十代のシングルマザーだ。二人とも働き盛りで、子どももいる。男は新築の家を都内に建てたばかり、女房は専業主婦として家を守っている。女は早々に離婚したせいで、働きながら一人息子を育てている。二人が出会ったのは雑誌の取材を通してだった。会社の重役でもある男の元を、颯爽としたコートを着て彼女が現れた。待ち合わせはホテルのカフェである。
「お待たせしました。はじめまして。」と女が言った。
「どうも。」男はうやうやしく立ち上がると、いつも通り名刺を渡す。女の色香が匂ってくるが、素知らぬ顔。
「お忙しいところ、すみません。」女も名刺を渡す。女はフリーの記者で、雑誌以外にもあらゆるジャンルを網羅するジャーナリスト。そういう肩書で活動していた。
「いや、忙しいのはお互い様でしょう。」そう男は言って、席をすすめる。
「貧乏ヒマなしって言うんですか。」そんな言葉使いをするので、男は女をじっと見た。
「いい服を着てらっしゃる。」そう言われて女は少し微笑む。
「貧乏には見せません。」男も肩をすくめるのみで、さすがに微笑むことはしなかった。
「あ、コーヒーお願いします。」女はウェイターに向かって注文をする。男の前にはすでにコーヒーカップが置いてある。
「で、どのような取材でしたか。」男はすぐに本題に入ろうとする。
「単刀直入に言いますと。」彼女はデキル女のようだ、と男は思った。しかしそれが彼女の本当の顔とは限らない。もちろん仕事はできるだろうが、彼女のことはまだ何一つ知らないのだ。
「ええ、なるほど。そうですか。」男は女の話を聞きながら、彼女のうなじを眺めていた。
「そうです、そこでこの会社との関係や利益のあり方についてお聞きしたくて。」女は話しながら、男の視線を感じている。何より男から漂ってくるほのかなオーディコロンの香り、それが彼女を刺激する。
「分かりました。ちょっとすぐにはあれですが、資料を持って次回徹底的にやりましょう。」男はそう言った。それで会合はお開きになるところだった。
「それでは。」と女が言いかけて、男が立ち上がる。
「よければ次回は、食事でもしながらどうですか?」と男が手を差しだす。
「喜んで。」彼女は咄嗟に手を差しだし、男の頑強な手のひらを感じる。
「では、場所などこちらから連絡します。」男はそう言って、去っていった。
「あ、こちらで会計は。」と女が言ったが、男は手を振って会計を済ませてしまう。
「ごちそうさまです。」女はそう言って、男を見送った。それからしばしそのカフェで資料を整理する。いや、頭の中をと言ってもいい。仕事ができるとはいっても、彼女も女で気持ちで動く。好きか嫌いか、その選択肢がゆっくりと動き回る。
「昔はもっと衝動的だったけど。」と彼女は独りごとを言った。でも彼女には子どももいる。一家の屋台骨なのだ。別れた夫から養育費をもらっているからといって油断ならない。これから進学していく息子、彼のために稼がなければ。そう彼女は自分に言い聞かせる。そのためには今回の仕事が大きなきっかけになるはずだ。出だしは上々、これを積み重ねていけばきっといい特集が組める。
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