
さっきから、女は喋り続けている。タクシーの運転手が、バックミラーで後ろを見ても気づかない。車は首都高の渋滞につかまり、夜のテールライトを眺め続けている。
「そうなの。まったく信じらんない。」女が首を振ると、その長い髪が隣の女に当たる。でも相手の小さな女性はなるべくそれを気にしないように、そっと自分のハンチング帽に手をやる。
「だってそうでしょ。あたしはしっかり自分の仕事してるっていうのに。ありえなくない?」彼女は前を向き、渋滞の車を見ているが心は別のところに飛んでいる。
「はい。」相手は小さくうなずく。少し敬語を使うところを見ると、後輩のようだ。おそらく仕事の愚痴を喋っている、とブレーキを踏みながら運転手は思った。
「それなのに、ダラダラ喋ってさ。おべっか使うような人が優遇されるわけ?」女はため息をついた。
「そうですよね。」後輩の女はうなずくしかない。気の毒だなと、運転手は思う。しかも道は渋滞してて、周囲五キロの人々をイライラさせている。
「そんな業界だと知ってたらさ。」女は疲れているようだ。彼女の涙を見た後輩がさっとハンカチを取り出す。
「ありがとう。」さっきまで怒っていた女の心が少し緩むのが、運転席ごしにも伝わった。
「わかります。」と後輩がつぶやく。
「でしょ、そうでしょ。わかってくれる?」女はハンカチを返しながら言った。
「ええ。あたしも器用な方じゃないから。」仕事って難しい、と後輩は言おうとした。しかしそれを遮って先輩が喋る。
「ちがうの。器用とか不器用の問題じゃなくて。そんなお喋りが好きな人がいい、ってこと自体が問題じゃない?ってこと。」そう先輩に言われても、後輩はうなずくしかない。
「はい。」そう言って外の窓を見る女。その姿がミラーごしに、少し悲しそうに感じられる。
「あたしはね、そんなお喋りをするために業界に入ったわけじゃないの。」先輩の女は一段と声を高くした。業界とはどこの業界だろう。OLでないことは運転手にも分かった。どうやら仕事にこだわりがあるところを見ると、職人タイプの仕事だろう。そう考えると、タクシーの運転手と通じるところもある。かもしれない。
「わかります。」後輩はやはり同意するしかない。
「ほんとにわかってる?あたしは一生懸命やってんの。それなのに、そういうタイプの人が上にあがっていくんだったら。」この業界から去ってもいいんだけど、と彼女は思った。あたしだって何となくこの仕事をしているわけじゃない。将来は自分のオフィスを持つか、店を持って仕事をしていきたい。でも美容室でずっと働くよりは、ロケとかテレビ局とかに出かけてヘアメイクをするのがあたしの性にあってるって思ったの。実際、朝早いのも苦にならないし、エキストラとかキャストが何人こようとさばいてみせる。だけどさ、我慢ならないのはああいうお喋りが得意なだけの人がメインキャストのメイクをして、それで何十万円と稼いでいるってこと。
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