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話はさかのぼり、彼がどのような経過を経てそのような殺人行為をしたか。元々、彼はまじめな性格だった。でもまじめな奴ほど怖いというのは、ナチスドイツに従った人々や旧日本軍の蛮行を見てもわかる。まじめな人こそ上からの指令に忠実だし、自分で逃げ場をなくしてしまう。他に選択肢があるはずなのに、それが唯一の方法だと思い込み、完璧に遂行しようとする。そこに遊びはない。いや遊びがないから、追い込んでしまうのかもしれない。加害者となった人物は、追い込まれていた。どう追い込まれていたか、誰に追い込まれていたか。

「社会。あの野郎。」真面目だった彼がネットに書き込んだ言葉はそういうものだった。鬱憤を晴らそうとする感情がこもっていた。それを読んだネットの住人も最初はおもしろがっていた。だが犯行をほのめかす言葉が書き込まれると、さすがに止める者もあらわれる。だがここではそのやり取りは省くとしよう。注目したいのは一人の健康でマジメな人物が、どのようにして大量殺人を犯すにいたったかということだ。

「社会が悪い。」という言い方をすれば、それはこの人物の考えと似てしまう。問題は一個の個人であり、その環境であり、彼の人間関係だ。いや、彼にそれほど濃い人間関係があったとは思えない。ネットを重視していたことからもそれがうかがえる。そこには現実の挫折があった。もちろん現実は常に挫折や失敗を与えてくるものだが、それが度重なることで彼は精神的に追い詰められた。もしもうちょっと精神的・経済的余裕があったなら、人々も死ぬ必要はなかった。そういう意味では社会の仕組みやシステムに問題がないとも言えない。だがここで見ているのは、彼個人の物語だ。