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 彼の出ている店はルーツという名前のライブハウイスで、地下に店がある。沖縄料理屋の横から地下に降りると、中はガランとしていた。私がチケット代を払うと、店の人がドリンク券をくれる。私はジントニックを片手に、すでに始まっていたライブに耳を傾ける。彼の出番はまだのようだ。

「間に合ってよかった。」そう独りごとを言ったものの、実際には仕事を切り上げてまで来てよかったのか分からなかった。ライブハウスがガランとしていたこともあるし、そこで演奏されていたバンドもひどいものだったこともある。それにもし彼の演奏がそこそこのものだったとして、私がしてあげられることは限られている。まさかいきなり雑誌で取り上げるわけにもいかない。せめて知っている音楽事務所を紹介してあげるくらいだ。でも亡くなったKくんのことを考えると、それくらいのことはしてもいい気がした。前のバンドの演奏が終わると、ポツポツと拍手が起きた。そして彼がギターを持って現れる。バンドでギターヴォーカル担当のようだった。どんな演奏をするのだろう、私は少し期待と不安が入り混じった気持ちになる。

「どうも。」薄暗い地下のライブハウスでバンドの演奏が始まった。彼は私がいることにも気づいてないようだ。そしてバンドの演奏はといえば、実際大したことはない。アマチュアの中でも荒削り。彼のギター演奏は中々のものだったが、ヴォーカルがいまいちだし他の演奏は初心者に近い。私はジントニックを飲みながら「まいったな。」と思った。これを聴かされるのは、苦行のようなものだった。なぜKはこんな奴のことを私に会わせたのだろう。私の気は重くなった。帰ろうとも思ったが、やはりKの顔が浮かぶ。どちらにしても途中で帰るわけにもいかないので、最後まで演奏を聞いた。そして演奏が終わってから、一応挨拶をしに行った。私が行くと、彼は恐縮していた。

「すみません。本当に来てもらって。」演奏した後の蒸気した顔で、彼はそう言った。

「約束だから。」私はそう答える。プロとしてはもう少し練習が必要かもしれないと率直に意見を言った。

「ありがとうございます。」彼は伏し目がちにそう返事する。

「もし腕が上がったら、もう一度呼んで。」私はそう言うと、手を上げてその場から退散した。

 帰り道に、彼からお礼のメールがきた。「まだ結成したばかりのバンドで。」と書いてあった。そのようなバンドに人を呼ぶのかとも思ったが、私は先ほどとは違い「好きなことが大事だ。」というようなことを書いた。何より音楽を続けてほしかった。わざわざ上京してきたのだ。確かにそういう連中は東京にたくさんいる。そして大抵のやつは挫折したり、現実に突き当たって消えていく。いや、アマチュアで続けていくのはそれはそれで悪くない。ただし、プロとしてやっていくなら、覚悟が必要だ。そしてその覚悟を支えるのは何より「好き。」ということではないか。私がプロの演奏家などを見ていて思うのは、純粋だということだ。技術的に素晴らしいのは当然のようだが、案外そうでない人もいる。それでも個性を発揮したりして、それなりに食っていたりする。コネクションがものをいう世界でもある。逆に言えば、奴が大物になれば、私が使われる立場になるだろう。そういう世界だ。

 もし私がその晩、Kに誘われて彼のライブを見に来た意味があるとしたら、そういったことを少し伝えるくらいのものだ。私は夜道で風に吹かれながら、缶ビールを飲んだ。一本ぐらいじゃ少しも酔っぱらわなかった。若者たちが路上で演奏していた。これまたひどい演奏だった。それでもなぜか心が少し軽くなった。やり残した仕事のことを思い出し、再び気が重くなった。翌日以降、彼から連絡がくることはなかった。