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「やっぱりあなたには働くのが合ってるのかもね。」そう友人が言う。

「うん。」彼女は自分でもそう思う。一方で、妻が働き始めて機嫌がよくなったので、旦那もほっとしていた。最初は変な虫でもつくんじゃないかと心配したが、実際にはそんな気配すらない。助かったな、と彼が思ったくらいだ。毎日暗い顔で家にいられても困るだけだ。

「よかったじゃないか。」彼は妻にそう言った。

「何が?」妻は自分の頭をマッサージしながら聞いた。

「仕事決まって。」妻の肩をもみながら言う。

「ええ。」妻は旦那が自分に触ってくるのが珍しくて驚いてしまう。

「たまたにはいいだろ。」彼は、働いている妻が肌のつやまで取り戻すのに驚いた。

「え?」彼女は旦那が迫ってくるので、思わず引いてしまう。

「久しぶりじゃないか。」そう彼は言って、妻のうなじにキスをした。

「いや。」あまりにハッキリそう口に出して、自分でも彼女はびっくりする。

「そう言うなよ。」旦那は彼女の胸にさわる。

「ほんと嫌。」彼女は彼を押しのける。その抵抗があまりに激しいので、彼も一瞬たじろぐ。

「なんだよ。」彼は真剣に言った。

「なによ。」彼女は彼をにらんだ。この一年くらい指一本触らなかったくせに。

「誰。」彼は眉間に皺をよせている。

「え?」彼女は彼が何を言っているのか分からない。

「誰か、いるのか。」彼は頭をかきながら言った。

「バカじゃない。」妻は立ち上がると、自分の寝室に入りドアを閉めた。

この日ほど寝室が別々なのが嬉しかったことはない。彼は妻の寝室には入らないし、彼女は旦那の寝室に入らない。協定のように、いつしかそうなっていた。二人の交わりがなくなってからは、それで困ることもない。だから、こうして彼が突然手をのばしてきても、彼女は壁を作ることができる。

「それってどうなの?」友人は紅茶を飲みながら言った。

「え?」彼女は首を傾ける。

「夜の営み。」友人は恥ずかしげもなく聞く。

「じゃ、あるの?」彼女は逆に尋ねる。

「あるわけないよ。」友人も子どもができてからさっぱりだった。女同志ではこういう話もあけっぴろげにする。

「だったら驚かなくてもさ。」いいじゃない、と彼女は思う。

「だから、せっかく旦那がその気になったのにってこと。」そう友人は忠告する。

「別に欲しくないし。」彼女はそう言った。

「そうなの?あなたいい人でもいるわけ?」友人は率直に聞いてきた。

「そんなわけないでしょ。」彼女は笑ってしまう。

「じゃ、吐け口はどうしてるの?」彼女は言った。

「そんなの、男じゃないんだから。」とはいうものの、確かに女にだって性欲はある。しかも女の場合は男と違って年々それが増してくるような気もする。

「女だってあるでしょ。」そう言って友人は笑った。

「じゃあ、あなたは?」と彼女は聞いたが、さすがに友人もそれには頭を振るだけ。

甘いお菓子やテレビを見ることで、そういうストレスを発散してるのだという。それはないな、と彼女は思った。むしろそれなら彼女はエステに行ったり、ヨガをしたり体を動かす。それに選んだ仕事の現役復帰というのも、彼女に生きがいを与えてくれた。そして一年がたったある日、彼女はまた新宿の占い師のところに行った。

「仕事はいい。結婚はダメ。」そう占い師は言い切った。

「前に見てもらったときに仕事を勧められて、今は働いてます。」彼女はそう説明した。

「だから仕事はいいと言っただろ。でも結婚生活はあきらめた方がいい。」そう占い師が言うので、彼女はさすがに怖くなった。その時彼女も初めて離婚について考えた。

「結婚生活を続けたら、どうですか?」そう彼女は聞いたが、占い師は首を振るばかり。

彼女は憂鬱な気持ちになった。そして、改めて自分の結婚生活を振り返る。マンションに帰っても、相変わらず旦那は家にいない。接待や夜勤などらしい。時には女の匂いさえつけてくる。彼女は仕事をしてる上に、旦那の洗い物までしなくてはならない。食事の用意やセックスの相手をしなくてすむだけいいが、だったら確かに結婚している意味は?会計が別になった今、そこには何の意味もなかった。もちろん愛はとっくに消えている。いや、それこそが根本的な問題だったのだ。彼女は自分自身に対してうなずく。

「おい。」彼が仕事帰ったある夜、部屋は空っぽだった。声をかけても返事がない。妻の寝室を開けてみると、そこにはベッドから何まで消えていた。彼は何かを確認する代わりに棒立ちになっている。もう部屋には何もない。そもそも何もなかったのだ。