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「働いてみようかな。」そう彼女は、旦那に言った。

「働く?」彼にとって、青天の霹靂のような言葉。

「そう、働くの。時間あるし。」彼女は彼をじっと見る。

「お金は困ってないだろ。」軽く反対する彼に対して、彼女は粘り強く対処する。

「お金じゃないの。やりがいの問題。」そう彼女は言う。

「主婦だってやりがい持てるだろ。」旦那はそう言った。

「子育てがあればね。」子どもができない状況を自虐的に表現する妻を、彼は憐みを持って眺める。

「好きにしたら。」彼はそう言うと、いつものように自分の寝室にこもってしまった。よし、と彼女は思う。これで自由への道が一歩近づいた。そこで彼女はふと思う。「自由?」あたしは結婚して自由じゃなかったんだろうか。それで気づいた。これまでは他の誰もがそう考えるように、結婚は自然なものだと思っていた。でも、実際そこに愛はなかったわけだし。

「それって、あたしのせい?」彼女は自分の母親に電話した。

「あなたのせいよ。しっかりサポートしなさい。」昭和の人である母親は取り合おうともしない。

「してるよ、あたしは。」それに対して、彼女は不満を表明する。

「愚痴を言うのはいいけど、仕事をするなんて。」しかもお金に困ってないんだから、と母親は言った。

「お金の問題じゃないの。」旦那にも言ったことを彼女は母親にも繰り返す。

「そんなこと言うけど、お金は大切よ。」電話越しに母親はそう言った。

 だからといって母親がお金に困っているわけではない。亡くなった父親が積み立ててくれた年金があるのだ。充分ではないけど生活に困らない程度は出るの、そう母親は言った。それもすべて亡くなった父親のおかげだし、感謝をしてる。そんな言葉を聞くと、娘である彼女も心を動かさないわけにはいかない。確かに彼女の父親はまじめな人だった。無駄遣いをするようなタイプではなくて、一生懸命働いて、堅実に生活をした。一軒家を母親に残し、こうして娘も立派に嫁に出し、亡くなった。でも娘であるあたしは、母親のように旦那をサポートできてない。なぜ?それは彼が父親のようにまじめな人じゃないからか。なんとなく彼女はそう結論づけた。あたしだって、母親のようになりたかった。それなのに、なんであんな人と結婚したんだろう。当時は彼が華やかで大らかで、立派な人に思えた。顔だって悪くない。それどころかイケメンだ。でも結婚すると、そんなことは関係ない。むしろ浮気を心配してしまう。寝室だって今は別なのだ。

「働いてるの?」彼女の友人が聞いた。

「うん。」彼女は自尊心を持ってそう答えた。

「どう、大変?」友人は彼女を気遣ってくれる。

「うん、慣れるまではね。」でも新鮮なんだ、彼女はハツラツとそう言い切った。昔働いていた代理店の同僚が、自分の店を持ち、その店を手伝っているのだ。そこまで気を使わなくてすむし、昔のノウハウも生きる。彼女はイキイキとしていた。