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 彼はテレビ局で働いていた。華やかそうにみえて、つらい仕事でもある。昔ほどでないが、現場は火の車。深夜まで撮影が及ぶことも多いし、取材や素材集め、編集の付き添いまで。テレビ局の社員というわけではなく、テレビ局が委託する下請け会社だ。そこで彼は制作を受け持っていた。番組を作るうえで芸能人に会ったり、六本木で食事をしたり、打ち上げのオシャレなバーで深夜までお酒を飲んだり、悪いことばかりではない。

「それも仕事のうち。」彼は奥さんに言っていた。たしかにそういう根回しや付き合いが必要になることも多かった。

「だからって。」いつもそうだとは思えない、と奥さんはつぶやく。

「いつもじゃない。」彼は寝室の扉を閉めながら言った。

「いつもよ。」ドアの向こうで、奥さんの声がする。それをシャットアウトするように、自分の寝室で彼はヘッドホンをつける。そして木村カエラの曲を聞きながら、パソコンで仕事用のメールチェックをする。妻との会話よりも、仕事を重んじる。そのつけをやがて彼は払うことになる。

「どういうことだよ。」彼は何も置かれていないテーブルを見て言った。

「いつも食べないでしょ、あなた。」奥さんは言った。

「今日は食べようと思ったんだ。」なかば言いがかりのように、彼は言う。

「ほんと気分屋。」妻は目を合わせようともせず、自分の食器を洗う。

「自分の物だけ作るなんて、誰が稼いだ金だ。」とっておきの言葉を彼は言い放った。

「それは。」妻もそれには言いよどむ。悔しさと情けなさが、彼女を覆う。なんでこんな人と結婚したんだろう。たしかにちゃんと稼いでいる。それは認める。だけど、そのほかの一切は無下に放置されている。こんな放置プレイ、彼女には耐えられなかった。彼女の友人なんかは、こう言った。

「いいじゃない。亭主ルスで、元気がイイ。」彼女はその言葉を飲み込んで、咀嚼する。本当にそうだろうか。愛はどうなんだろう。まるで十代の女の子のようなことを彼女は思った。

「そりゃそうよ。ちゃんと働いているだけマシよ。」友人はそう断言する。

「うーん。」彼女はそれにも安易に同意できない。

「テレビ局なんて、いいじゃない。」何が不満なのとばかりに、友人は言った。

「テレビの下請けだよ。」現実を知らないから友達は簡単に言うんだ。

「下請けって、どんなことするの?」そういうことに疎い友人は、彼女に聞いた。

「番組作ったり、お弁当用意したり。」彼女は旦那から聞いた情報を提示する。

「お弁当?」そんなこともするんだと、友人は少し驚く。本当に下請けね。

「そう、だからあたしが作ったお弁当を持っていったことなんてない。」じゃあなぜ弁当を作ったりしたのだろう、彼女は自分でも不思議に思う。

「いいじゃない、お弁当作らなくていいんだから。」友人には子どもがいる。だから分からないのだ、その空しさを。逆に言えば彼女にだって友人の忙しさは分からない。つまり子どもがいれば、少しは違ったのだろう。

「大違い。」そう言ったのは、何をおこう新宿の占い師である。

「ですか?」彼女は友人との食事のあと、占ってもらった。

「ええ、あと仕事をしたほうがよさそうね。」新宿の占い師はそう言った。

「仕事?」今、彼女は仕事をしていなかった。彼と出会った頃はOLの仕事をしていた。広告代理店で働いていたのだ。

「独身のように。」そう占い師は言う。独身のように?彼女はその言葉で、自分が独身だったときのことを思い出した。毎日忙しくも充実した時間。人から求められるのが苦痛どころか、喜びだった。仕事をある程度覚えて自分でできるようになるのは楽しいことだ。しかもお給料がもらえる。自分で通した企画に責任を持って取り組むのは、大変だがやりがいがあった。