彼女はまだ十代で、歌うたいだった。都会の片隅でギターを弾きながら歌った。親に買ってもらったYAMAHAのアコースティックギター。そして赤色のギターケース。そして水玉模様のキャリーバッグに、アンプやマイク、スピーカーなども積んでいた。なぜ彼女が歌うのか、誰にも分からなかった。彼女自身にだって分かっていないのかもしれない。ただ昔から歌が好きだった。それは間違いない。そして中学に入る頃、町のギター教室に通い出した。彼女もなぜそこに行き出したのかハッキリ覚えているわけではない。そこにギター教室があったのは知っていた。通学途中に看板があったからだ。いつも通るたびに「ギター。」と心の中で思った。だけど一歩踏み出すためには何かが、必要だった。


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「お母さん。」と彼女はある日、家で言った。

「どうしたの?」と一人娘に対して、母親は聞く。

「あそこにギター教室あるの知ってる?」と娘は聞く。

「あ、ああ、うん。」と、なぜか母親は口ごもる。

「え、なんで?」それに対して敏感に娘は反応する。

「いえ、あなた興味あるの?」と母親はソファに座っている娘に聞いた。

「うん。」とシンプルに娘は答える。

「そう、実はあそこのパンフレットをもらってきてあるの。」と母親は言った。

「え、なんで?」その偶然に娘は驚いた。

「いえ、あなたが行かないかなと思って。」と母親は苦笑する。

「えー言ってよ。」と娘は喜んで、母親が出したそのパンフレットを手に取る。

「だって、無理にさせても嫌がるでしょ。」と母親は言った。

「それはそうだけどさ。」娘はそのパンフレットに書かれてある無料レッスンという言葉にひかれた。

「部活も行ってないし、何かやった方がいいと思ってたの。」と母親が娘を心配して言う。

「うん。」とそっけなく彼女は答える。そして、すぐに予約をとってそのギター教室の無料レッスンに参加することにする。彼女はギターをポロンと鳴らす。その瞬間にメッセージが降り下りてくる。彼女の心は沸き立ち、震えた。「すごい。」と彼女は心の中で叫んだ。そして潤んだ十代の瞳ですぐに「やります。」と言っていた。母親に報告すると、娘がやる気を出したことを喜んでくれた。そして父親も応援してくれるという。それから中学卒業までの三年間、彼女はギターばかり弾いていた。そして卒業近くになったある時、オーディション用紙を母親に手渡した。

「なにこれ?」と母親は驚いた。

「ギター教室に置いてあったの。」と娘は言う。

「オーディション、って何の?アイドル?」と母親は娘と用紙を交互に見ながら言った。

「ちがうよ。ギター。事務所に所属できるんだって。」と娘は答えた。

「あなた、本気で言ってるの。」と母親は信じられない思いだった。娘はどちらかといえば引っ込み思案な性格なのだ。

「事務所に所属したら、デビューできるかもって先生が言ってた。」と中学生の娘は言う。

「そう。」娘の夢を壊したくないというのはどの親でも同じだ。

「受けてもいい?」と娘は言った。

「そうね。お父さんに聞いてからね。」と母親は答えた。娘は実際にまだデビューするわけじゃない。それどころかオーディションに受かるわけがない。なんと言っても、娘はまだ二、三年ギターを習っただけの中学生なのだ。父親に尋ねたら「いいんじゃないか。」とあっけなく言われて、この人は関心がないんだろうかと思ったくらいだ。でも本当は父親もそのことを嬉しがってくれていた。それは娘がオーディションに失敗して帰ってきたときに分かったことだ。

「ダメだった。」と落ち込んだ娘がギターを床に置く。

「まだ分からないだろ。」と日曜日の夜、父親がソファから言った。

「わかるよ。」と娘は下を向く。

「じゃあもっと練習しなさい。」厳しいことを父親は言う。

「うん。」娘はその日、それ以上口を聞こうとしなかった。心配した母親が気遣って声をかけたが、娘はさっさと自分の部屋にこもってしまう。そして部屋からは泣き声が聞こえてきた。

「あなた。」母親は父親に声をかける。

「ああ。」そうは言うものの、父親にもどうしていいのか分からない。その翌日、父親は娘の部屋のドアをノックした。

「どうぞ。」という声がする。部屋に入ると、娘はベッドにいる。

「ほら、これ。」と言って、父親が出してきたのは赤いギターケースに入った新しいギターだった。

「え?」泣きはらした目で、娘はそれを見た。

「卒業お祝いと、高校の入学お祝い。」と父親は言った。

「あ、ありがとう。」と娘は言って、ギターを取り出した。

「お父さんと、お母さんからだよ。」と父親は言う。

「ああ、うん。」娘はそのギターをポロンと鳴らしてみる。

「チューニングはまだだよ。」と父親は言った。

「うん。」と娘は答える。

「それで練習して、今度はしっかり準備してからまた受けたら?」と父親は娘に言った。

「オーディション?」と娘は聞いた。

「周りはもっと努力して必死に頑張ってるんだから。」と父親は言う。

 そうだな、と娘も思った。確かにあたしはまだ少ししかギターをやってない。あたしはまだ若いんだから、高校でしっかり練習してギター上手くなろう。そう彼女は思った。そしてその通りに高校の一年間、彼女はギターの練習に費やした。そして高校二年生の時、再びオーディションを受ける。準備は万端だった。中三の小娘とはもう違うのだ。彼女はもう高校生で、見た目も大人っぽくなった。そして彼女は事務所のオーディションに受かり、所属することになる。そして同時に路上ライブまでするようになった。それは父親のすすめでもあった。